京都 新京極御朱印めぐり

新京極商店街には北から南に一つのお宮と七つのお寺があり、この商店街を歩けば八つのご朱印がいただけるということで人気のスポットになっています。
本能寺への参拝を済ませ、商店街を北から歩いてみました。
途中の商店でいただいたパンフレットに新京極商店街とは天正年間(1573年~1592年)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴い、その境内が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物を中心に発展するようになりました。
明治五年、京都府惨事槇村正直は、東京遷都で衰えていた市民の士気を盛り上げるべく、寺院の境内を整理してそこに新たな通りを造ったのが新京極商店街の誕生と記されていました。
では、新京極商店街にあるお宮とお寺、いただいたご朱印を紹介していきましょう。
なぜかこの前に参拝させていただいた矢田寺は、同じ商店街の中にありながら、新京極御朱印めぐりのパンフレットには載っていませんでした。

総本山 哲願寺
創建は飛鳥時代。清少納言、和泉式部、松の丸殿といった女性から深い信仰を集め「女人往生寺」と称され、落語祖・策伝上人や世阿弥作・謡曲「哲願寺」に謡われ、落語の発祥・芸上達の寺として広く進行を集めています。

和泉式部 誠心院
平安時代中期、その奔放な生き方と華麗な歌の詠みぶりで強烈な光を放った歌人、和泉式部のために、関白・藤原道長が小庵を建てたのが始まりだという。
和泉式部は老後をこの庵に住み、その死後、法名の誠心院をとって寺名としたと伝えられている。

↑哲願寺、誠心院でいただいたご朱印です。

西光寺 寅薬師
通称名は、本尊阿弥陀如来の向かって右側に安置する寅薬師如来に由来するそうです。
像は弘法大師の作と伝えられ、成就したのが寅の日、寅の刻にあたることから寅薬師と呼ばれ、開運繁栄の運気を授け、無病息災、病気平癒のご利益が与えられるといわれています。

蛸藥師堂 永福寺
蛸藥師通の名を生んだ程、広く庶民の信仰を集めたお寺です。
蛸藥師と称されるゆえんは、この寺にいた親孝行な僧が病気の母に「タコ」を買ったが見とがめられ、僧が日頃信仰する薬師如来に念願したところ、タコは薬師経に変わり、母の病が癒えたとされています。

↑西光寺と永福寺でいただいたご朱印です。

善長寺
永正の初めに忍想上人により創建され、豊臣秀吉の命で現在の地に移転し、徳川家康が上洛する際の定宿だったそうです。
本尊の地蔵菩薩は秘仏になっており無病息災、延命の守護仏として信仰を集めています。
また他のご利益として「くさ」(ふきでもの)除けの「くさかみさん」としても知られています。


錦天満宮
繁華街唯一の鎮守社です。
「知恵・学問・商才の神」として多くの参拝者で賑わっていました。
また、京のど真ん中に京の名水「錦の水」も湧き出ています。「この井戸は地下30数メートルより湧き出ているそうです。飲用に適する良質の御神水で、お持帰り自由(無料)」と記されていました。

↑善長寺、錦天満宮でいただいたご朱印です。
実はこの前に安養寺へも参拝したのですが、お寺の方が不在であったことから、お参りだけさせていただきました。

染殿院
四条通角の交番の横を入ったところに「そめ殿さん」で親しまれる染殿院
本尊の地蔵菩薩は秘仏で五十年に一度開帳されます。
文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)はこのお地蔵さんを祈って清和天皇を降誕されたと伝えられ、それにあやかり安産のお地蔵さんとして名高い寺院です。

↑いただいたご朱印です。
三条通と四条通を南北につなぐ新京極商店街で七つのご朱印をただきました。
新京極八社寺、とても巡りやすいコースでした。
コメント